現状を嘆き悲しみ「成功」を夢見る必要なくない?日本に生まれた時点で成功じゃね?

こんにちは、アンジーです(*´ω`*)

 

世間ではよく、「負け組」、「底辺」、「ワーキングプア」なんて言葉を耳にする。

 

そして、「成功したい」と声高らかに叫ぶ人々も少なくない。

 

だが、アンジーはこう考える。

 

「日本に生まれ、酷い病気に罹らず、虐待といった劣悪すぎる家庭環境や、犯罪やイジメの被害などにあっていない人であれば、その時点で、文句なく、<成功者>である」

 

ほとんどの人は、スマホが使え、無料でゲームやインターネットができ、少なくとも小中の9年間は無料で教育が受けられ、文字の読み書きに不自由せず、選ばなければ就職に困ることもなく、飢えに苦しむこともなく、病気になれば、世界最高峰の医療を、爆安で受けられる。おまけに、日本は治安も世界トップクラスだ。

さらに、言論の自由も、職業選択の自由も保証されている。

憲法に生存権の規定があるので、なんらかの事情で経済的に困窮しても、生活保護などのセーフティーネットが用意されている。

 

こうした事実は、当たり前のこととして、いちいち、ありがたがる機会もなかなか無いが、これだけ、素晴らしい生活環境が揃っていれば、その時点で、既に、十分、成功している。

 

うまくいかないことを、嘆き悲しんだり、執拗に「成功」という、定義もハッキリしない、幻想を追い求めても、不毛なだけだ。

 

例えるならば、年収3000万円の人が、「年収が1億にも満たないなんて、なんて自分はダメなんだ。どうして自分は負け組になってしまったのだろう….」と落胆するのと同じくらい、バカバカしい。

 

そんな暇があったら、面白い小説を読んだり、山登りにでも出かける方がよっぽで有意義ではないか???

 

故に、日本に限って言えば、負け組とか底辺なんてものは、単なる、概念にすぎず、実際には、存在しないのだ。

 

このことを、理解するのに、役立つ概念が「閾値(しきいち)」だ。

閾値とは、その値を境界にして、意味などが変わることだ。

これは必ずしも正しい用例ではないが、水は100度になると沸騰する。

99度では沸騰しない。

水と熱湯を分けるのは、100度という閾値だ。

あるいは、10円ガムは8円や9円では買えない。10円以上のお金を払ってはじめて購入できる。

 

人間の幸福にも閾値がある。

 

「自由があり、住むところに困らず、食べ物に困らず、仕事や適度な娯楽があり、医療サービスを受けることができる」

 

上記の閾値さえ、超えていれば、その時点で、幸福だし、成功している。と言いたい。

もちろん、もっと豊かな生活を目指すのが悪いと言っているのではない。

お金持ちを目指すことが悪いと言っているのではない。

「足るをしれ」等と説教じみた主張をするつもりもない。

 

そうではなく、閾値を超えさえすれば、

 

 

「悩み苦しんだり、自己卑下する必要があるほどの、大きな問題はないのだ」

 

と言いたい。

 

 

事実、我々人類社会においては、1日4万人が餓死している。

同じ日本でも、大戦中であれば、男子は、苛烈な、戦場に送られ、街は空襲で焼かれ、白米はごちそうだった。

 

現代日本に生まれた時点で、大半の人は、既に成功者だ。負け組だ、底辺だと、悲観的になる必要なんてどこにもない。無理に前向きに生きる必要はないが、落ち込む必要は、もっとないのだ。

 

 

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